犬夜叉:桔梗の名言:私の心は自由だ・・。愛することも憎むことも・・・。

アニメ診断

犬夜叉:シーズン3−33『さよなら蛇骨の鎮魂歌』より

目次

人は、孤独になると、悪に染まる・・・。

私がこのことに気がつかされたのは、ブラットピット主演の映画「セブン」を視聴した時でした。
キリストの7つの大罪に倣い、殺人を犯していくストーリーで、「傲慢」「嫉妬(ねたみ)」「憤怒」「怠惰」「強欲(貪欲)」「暴食(貪食)」「色欲」の七つの人間の心の罪を指すのが7つの大罪。

殺人を犯す犯人は、住所も交友関係もなく、銀行口座は、お金を引き出すためだけに使用している。完全に「孤独な人間』が犯した犯罪だった。

犯人は、孤独であるがため、偏った思い込みで罪を裁いていく。この映画の殺人犯は、本をたくさん読む人物だったため、その知識が孤独に支配され、このような偏った罪を犯したと私は思っている。

それを物語っているような内容が、この犬夜叉の白心はくしん上人しょうにんの物語で語られている。

白心はくしん上人しょうにんは、現世から600年前に、人智を超えた法力を持っており、最高位の霊峰の白霊山にどんな妖怪ですら近づけないお清め所を開いた僧侶という設定の人物

生前、飢饉や疫病が蔓延する時代に、彼は、多くの人を救ってきたのですが、自らが病にかかった時、彼がいなくなると、自分達はどうなるのかと、不安になる人々がいたため、即神仏となることを伝え、死んでからも人々を守ると約束し、生仏となるため、生きたまま埋められるという経験をしたのです。

暗く、光すらないその空間で、皆が、自分の不安を鎮めるために、自身が生仏となるのを望んでいることを知った時、「死にたくない」という生への執着を手放せず、魂を成仏させることができないでいた。

そんなところを、奈落に

「恨んでもいいのだ。愚かな人たちが、お前を聖人と祭り上げ、土の中で生仏となることを約束させ、そしてお前を孤独の暗闇に放り込んだのだ。恨め、人間を世の中を・・・。」と声をかけたのです。

この言葉によって、白心上人の魂は救われ、白霊山に、妖怪が入れないよう、奈落を守るために結界を張る役目を担っていました。

白身上人:わしは、聖人などではなかった。絶命するときに、そのことを思い知ったのだ

そこで魂が止まってしまったのか。その魂の暗闇に、奈落が滑り込んできた・・。

桔梗は、白心上人にこのように伝えます。

桔梗:この世に、迷いなきもの、一点の汚れのないものなどいるのでしょうか・・・。

桔梗も、生前、巫女であり、四魂の玉を浄化する役目を担う巫女であったことで、邪な気持ちを持ってはならないと、生きている間、人を愛すること、恨むこともできず、心の不自由さを抱えていた。

かごめが戦国の世に来たことで、死人でありながら、生き返ることができたとき、

私の心は自由だ・・。愛することも憎むことも・・・。

と、心の自由を手に入れたこと、今、自由な心を得て、死人でありながら、生きていられることを喜ぶ姿が描かれていた・・。

まるで、そんな自分を見るかのように、同じ苦しみを持つ白心上人。

白身上人:わしは、仏になれなかった。生への執着がわしを地獄へ落とした。

桔梗:迷うのが人間です。だからこそ、崇高でありたいと望む。命を惜しみ、涙することは、恥ではありません。

本当に、白身上人は、人を恨むことで、救われたのだろうか・・。なぜ、こんなに悲しい思いが伝わってくるのか。桔梗は、彼にこう告げます。

桔梗:もとより、私ごときに、あなたの魂を救えるとは思ってはいない。ただ、私は知りたい。あなたが何を悲しんでおられるのか・・。

そう言って、桔梗は、白身上人を抱きしめこういった

桔梗:こうして、魂に触れても、あなたから恨みや憎しみは、伝わってこない。あなたは、人を、世の中を恨んで、泣いていたのではない。

白心上人:そうだ、わしは、聖人として見事入滅したかった。だが、それは叶わなかった。わしは、知りたくなかった。自分の弱さなど、わしは、己の心の弱さに打ちのめされて、泣いたのだ。

桔梗:苦しかったのですね。あなたは充分に人々に尽くしてこられた。もう、自由におなりください

白身上人:いいのだろうか・・・。

桔梗:もう、いいのです・・・。

桔梗は、自分ごときに、迷える魂を救うことなどできないといった・・。

でも、ときに、弱い人間は、人の言葉に救われることが多くある。人は孤独では生きていけない。

それを心の奥底で知っているからこそ、人は孤独を恐れるのではないでしょうか・・・。

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる